大判例

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東京高等裁判所 昭和30年(ラ)198号 決定

抗告人 北沢ひろ

訴訟代理人 中村孝吉

相手方 北村広美

事件本人 北村れい子

主文

原審判を取り消す。

北村れい子の親権者を抗告人北沢ひろに変更する。

相手方北村広美は北村れい子を抗告人北沢ひろに引き渡せ。

理由

本件抗告の趣旨並びにその理由は末尾添付のとおりである。

よつて考えるに、(一)記録第六十四丁北村広美戸籍謄本によれば、事件本人北村れい子は、その父母である相手方北村広美と抗告人北沢ひろとの協議離婚届出にあたり 父北村広美をその親権者とする届出により、現に相手方北村広美をその親権者としていることが明らかである。

(二)しかして原審審判手続における関係人長谷部なつ、相手方北村広美、申立人(抗告人)北沢ひろの各供述、及び当審において抗告人並びに相手方の提出した書面を綜合すれば、相手方は、事件本人の出生の後一日たりともその監護養育をなさず、抗告人との約束によつて昭和二十九年四月五日事件本人を抗告人の手許から引き取るや直ちにこれを長谷部幸治、同なつ夫婦の手にゆだね 同夫婦の事実上の養子として養育せしめおり、事件本人の親権者とは名ばかりで、親権者の権利であり、義務である子の監護教育の責を尽さず、後記認定のような長谷部幸治夫婦の家庭の事情から今日に至るまで同人らと事件本人との養子縁組の手続をとつていないことを認めることができる。

(三)原審における家庭裁判所調査官補横沢昭安の調査報告書並びに当審における抗告人提出の陳述書を綜合すれば、現在事件本人の養育をしている長谷部幸治、同なつ夫婦は、幸治の先妻亡きよとの間の現存の四男二女のうち長男、次男との間柄は必ずしもうまく行かず、三男との将来の間柄も案ぜられるところから、事件本人との養子縁組を切望しておるものの、その家庭の事情から今に至るも事件本人との養子縁組の手続をなさず、殊に長谷部幸治は抗告人の義兄丸田高男に対し「自分には子供が六人あり、ごたごたの起きる子供は欲しくないが、家内が欲しがつている。松代の北村から話があれば子供は返す。」と言明したことが認められる。

(四)前掲調査報告書、屋代町長北村匡登回答書、原審における関係人北沢三之助、申立人(抗告人)の供述を綜合すれば抗告人の父北沢三之助は、屋代町においては経済的には中流上位の生活をなし、かつ家庭すこぶる円満であり、一家こぞつて事件本人の養育を熱望していること、抗告人はその父三之助のすすめで、事件本人を相手方に渡す約束をなし、昭和二十九年四月五日生後満一年をやや越えた事件本人を相手方に引き渡したが、五日の後事件本人が長谷部幸治方に養育せられていることを知るや、直ちに長谷部幸治に対し事件本人の引取方を交渉し、爾来ここに一年有半熱心に事件本人の取戻方に奔走していることを認めることができる。

元来親権は、血縁関係(養親子にあつては血縁関係が擬制されている)に基く親の未成年の子を養育するという人類の本能的生活関係を社会規範として承認し これを法律関係として保護することを本質とするものである。本件においては以上(一)ないし(四)に認定した事実関係並びに原審判理由中に認定されている一切の事実関係を見ると、事件本人の父である相手方は未だかつて事件本人の養育をなさず、事件本人に対する親権の行使をなすことなく、事件本人を第三者夫婦をして養育せしめ、相手方の代諾によつて将来これと養子縁組をなすことによつて事件本人に対する親権行使の責任が終局的になくなることを期待しているのに反し母たる抗告人は、事件本人の親権者となつてこれが養育をなし、実母の手によつてその幸福をさらに増し加えることを切に願うのみならず、事件本人の監護教育の能力をも十分有するものと認められる。このような状況の下において、事件本人が将来父たる相手方の代諾によつて養子縁組をなすまで現状のままに放置するよりは、むしろ今直ちに抗告人を事件本人の親権者として、事件本人の将来の運命を母たる抗告人の手によつて決定せしめることが事件本人の利益であると考える。

よつて、当裁判所は、家事審判規則第十九条第七十二条第一項第五十三条に則り、原審判を取り消し、事件本人の親権者を抗告人に変更し かつ相手方に対し事件本人を抗告人に引き渡すことを命ずる旨の審判に代わる裁判をするのが相当であると考え、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 大江保直 判事 草間英一 判事 猪俣幸一)

抗告の趣旨

原審判は、これを取消す。北村れい子の親権者を北沢ひろに変更するとの御裁判を求める。

抗告の理由

一、原審判は抗告人が事件本人北村れい子を相手方から抗告人の方え、よこして頂き度い。つまり親権者の変更をして頂き度いとの申出を、れい子の利益のために変更しない方がよいと判定されたのであり その理由として、縷々説示されているが要するに、事件本人北村れい子は、相手方から長谷部幸治方へ養子にやる約束がしてあり、未だ家庭裁判所の許可申請もなく、許可もしてないが、そのうちに法定の手続をすれば正式に養子として長谷部方え入籍することになるかもしれないと暗示し、さあ、そうなつた場合は抗告人に親権者を変更するよりも事件本人北村れい子のためには変更しない方がよいだろうから、変更の申立は却下するというにあるらしい。

二、抗告人としてはこの審判には、心から服するわけにはいかないので、その理由は、

(1) 、事件本人北村れい子は抗告人と相手方との間に出生した嫡出子で抗告人は相手方との協議上離婚により婚家を去り、生家に戻つており、或る期間抗告人の手許で養育して、まいつたのですが相手方との取定めで事件本人北村れい子を相手方に渡したのです。渡すとき母親である抗告人の顔を見て、「ニツコリ」笑顔を見せてくれたそのときは実に断腸の悲しみで、永久に抗告人の、脳裡から去りません。然し相手方父親の許で育てられれば、又いつかは会えることと思つてみたりしましたが、其後抗告人は、学校教員として児童の面倒を見るようになつてからは、「何故れい子を我が手許に置かなかつたか、」どうかしてれい子を我が方に渡して貰つて終生母親としての役目を果し度い、そのうち機会を見て相手方に話してみよう、相手方も困るだろうなどと、いろいろ心を痛めておりました。

(2) 、ここで申上げますが、抗告人と相手方とは元来、仲がわるくなく、唯だ相手方に、抗告人と同年輩の妹が未婚で、その家庭におり、それは俗に「小姑鬼千匹」と言われるようなわけで 相手方の母親に働きかけたか、どうか知りませんが 延いては抗告人も、相手方の母親から嫌われるようになつたと思われます。それは抗告人にも旧式の家庭に馴じめなかつたという点は反省しております。

(3) 、事件本人北村れい子は抗告人の手を離れた時は年齢一年余りであり、やつと母親の顔を覚えた位のときでありますが、これは抗告人の生家で出生し、そのまま相手方から(事実母親から)離別を申込まれたので、その儘婚家の相手方の家庭には まいらず従つて相手方は、れい子を見たことも、なかつた次第であります。

(4) 、それで相手方は抗告人と別れてから、後妻を捜したそうで、後に聞くと、上水内郡神郷村豊野のそばやの娘さんと縁談が進み、先方では、先妻との間に子供があつては厭だと申したとかで、急に事件本人北村れい子を、当時相手方としては、一度も見たことのない満一才とすこし出た位の嬰児を抗告人の家庭から他人の手を通じて、そのまま長野市の長谷部幸治方へ連れてゆかせ、同人方へくれて、そうして後妻を迎えたということであります。抗告人は、そんなことは、つゆ知らず全く松代町の相手方北村方へ引取られ同家で可愛がられて育てられることと思い然し母乳でなく、育てるも、さぞかし骨が折れ困つていることだろうと、かげながら、れい子のため北村家の人々のため、心配もしておりました。

(5) 、その後そのことを聞知し 北村方へ、れい子を貰いに行つたら長野市の長谷部方にやつてあるというので抗告人は長谷部方へ行つて交渉すると 北村の方へ話してくれとのことでした互に逃げているのです。

(6) 、或る時期には北村の方では抗告人の方へ、れい子を渡してやつてもよいということを聞き、又長谷部方でも北村の方から申出があれば返す意思があるようなことも聞きました、だいぶ話が、うまく行きそうでしたが一年近い間、調停やら審判やらと、やつているうちに感情上、意地になり雑音もはいつたりして此度原審判のような判定をされるに至りました。その間に抗告人は いろいろな正しい道を踏んで相手方及長谷部方へ懇談したのですが、遂には徒らに意地と、各々自分自身の損得ばかりを念頭において事件本人北村れい子という、東西も知らず手の左右も弁じない嬰児の利益を度外しているようです。それを今になつて、事件本人北村れい子は長谷部幸治方へ養子にやつた方が、抗告人である実母の元におくより幸福であり利益であるというような審判の説示は全く抗告人等の社会観念と容れない感じがいたします。

(7) 、日本の法律というものは、民法の親子関係の規定に限らず。その本質は道義的のものでは、ないでしようか道義は結局人倫生活の道であり理であるといわれます。それが、法ではないでしようか。民法の親権というのは、親が子に対して有する身上、財産上の監督保護を内容とする権利義務を包括して、いうのだと学者は説明しています。嬰児と雖、その人格は認められ、親の所有物ではないわけです。相手方は事件本人北村れい子の親権者でありながら、嬰児れい子を恰も所有物視するかの如く右から左に処分する態度、抗告人母の手許から引取らせ直ぐに長谷部の手に渡すというのは親権の行使として看過できず、凡そ人は、ある一ツの言動が、その人の全精神人格を表明していると見られないでしようか、されば彼の一事によつて親権者として資格に欠陥あり変更の必要がないでしようか 長谷部も亦、抗告人である実母が、れい子を欲しいと申出たならば「アアそうでしたか 実のお母さんがお育てになるなら子供のために、それに、こしたことはありません、早速北村さん方へお返してお母さんの手許に引取られるように致しませう」と出るのが世間普通の人の考え方ではないでしようか。それをれい子は北村から貰つたのだ放さないという。その考え方、その態度は、果して北村れい子の現在、将来に利益となる人と断定されるでしようか。

(8) 、統計によれば大体年齢長けた人は早く死ぬという、されば長谷部夫婦は抗告人より、早く死亡するというわけ、その場合、及びれい子長じて夫を持つた場合等に於て果してその間に紛争は起らないでしようか、長野地方の例で、赤ン坊の時貰つた女児長じて婿を貰い、入籍しないうちに養父死亡し、養母と養女との間に財産分配について争を生じ結局、部落有数の農家であつたが、その日炊いた飯まで分配し養母は遂に去つて悲惨な生活をしている例あり、又相手方住所の松代町にも赤ン坊を養子にもらい十五、六才の頃養子と知つて実親(東京)を捜し出し遂に養親等と殆んど絶交した例ありそのため養子は年令が相当に長け、物心がついてから、すべきものとの世評を聞くに至つた、このことは相手方の親たちも、知る筈である。

(9) 、生物として自然の母性愛は人間に拘らないが今次大戦中死に頻した兵士は「お母さんと絶叫するも決してお父さんとは呼ばない」という例を耳にするも、母から生れた子は母を父以上に慕うのが通例であり実親子以上に、情愛のこまやかなるのは公知の事実であり、例外はあるが、さもあるべきである。そこで軒場に巣を造る雀や燕の行動を見ても、他巣の同類又は異種類の間では子のためには敵となる。本年一月中上野動物園で見た例であるが、ひひ牡と牝その牝は去年十一月中生れたという未だろくろく歩けない子ひひを抱いていた。その檻の隣室に係員がはいつた際、ひひ牡と牝は、餌をくれると思つたが、慌てるように隣室に向つて歩り出した。その時牝ひひは子ひひを打捨てて行つたが途中急に引き返し、打捨てた子ひひを大いそぎで抱えて又駈けていつた、その時のあわて方は、見ている人を笑せたが同時に人々に異句同音に「母性愛」ですねと嘆声を放ち、その話を持ち続けた。これは人間に対する一つの教訓反省を与えたものと思う、人間も母性愛を尊重すべきではないでしようか、それを無視するようでは、やがて倫道に背くことになると思う。審判説示の如く抗告人が性、理智的に過ぎ、積極性に乏しいとしても、その若い女性が未だ錬成されない未完成のものかは知らぬが人間的に純真な母性愛に燃え、事件本人に対する過去の態度を反省して自ら母として親権者たらんことを熱望しており、相手方の如く、れい子を邪魔物扱いにして長谷部に渡し長谷部又、実母の愛情を無視して引渡を拒むという類とは同視出来ないと思います。又資産生活情況についても、決して相手方や長谷部と同視し得ない抗告人の家庭であり、家庭も亦円満というのであるから、審判説示の如く、親権者変更の是非について、仮りに五分五分とせば寧ろ、将来を考えて実母抗告人の手に事件本人を委せ、抗告人の親権者変更の請求を認容されてよいのではないでしようか。

抗告代理人は抗告人の意思により又、相手方及び長谷部夫婦の家庭の事情を検討した結果茲に原審判決を取消し抗告人請求通りの御裁判を仰ぎ度止むなく本抗告に及んだ次第であります。

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